「量子材料学の初歩」


                    三共出版株式会社   
     著者:足立裕彦、田中功         


まえがき

 本書は,これから材料科学を学ぼうとする学生を対象として,そこで必要となる量子力学の初歩についてまとめたものである.また実際の材料研究者で少し量子論を勉強してみようという人たちにも利用できることを考慮して書いてみた.
 新しい時代の材料科学では,非常に多種多様な物質を扱わなければならない.同様のことが材料科学のみならず化学や物性物理学の分野でもいえる.このような物質の物理的・化学的性質の大部分が,その電子状態によって決まっているので,物質の電子状態を正しく理解することは次世代の科学・技術にとって最も重要なことであるといえる.物質の電子状態を正しく理解するには量子力学が必要になるが,これからはただ理論を理解するだけでなく,自分でそれを実際に応用することが要求される.
   量子力学や量子化学の本を開いてみると,やたら難しそうな式がいっぱい目に入るので,しり込みしてしまう場合が多い.量子力学で,電子状態の計算をする際に必要な基本理論はシュレディンガー方程式だけであるが,それを解くために必要な技術としての込み入った近似や数式が展開されていて,それを理論そのものと思ってしまうわけである.すなわち技術を理論と誤解してしまうところが多いのである.また量子力学を取り扱っている分野が違うと一見全く違う理論の様に思われたりすることもある.
 本書では,材料科学における必要最低限の量子力学について述べた後,多種多様な物質の電子状態を,分子軌道法という一つの研究手段で,系統的に観察した結果についてまとめたものである.したがって,分子軌道法という計算手段について基本的なことだけを理解するだけで,複雑な系の電子状態でもその本質が理解できるということを強調したい.
 内容はまず,量子力学と実際の計算方法である分子軌道法について,できるだけ簡単に分かりやすく説明した.そして簡単な分子を例にあげ,基本的な解析の仕方について簡単に述べた.つぎに実際の材料として用いられる,種々の物質の電子状態と化学結合について実際の電子状態計算に基づいて述べた.さらに材料の物性に強く関わってくる欠陥構造や表面・界面における電子状態をどのように考えればよいか,また水溶液中での電子状態はどのように取り扱えるのかなどについて述べた.電子状態の計算は,物質の物性や材料特性の理解に役立つだけでなく,種々の分光学を用いた物質の状態分析や材料の評価にも大いに利用できるので,電子状態計算による分光データの解析方法についても述べてみた.材料科学の量子論的な理解は,まだそれほどすすんでいるとはいえない.本書で取り上げた問題でも,まだ本当にまとまった話が出来上がっているわけではない.しかし近い将来にはこれらの理解が飛躍的にすすんでいくのではないかと感じている.読者のなかから,これらの広い未開拓の地を切り開いてくれる方が生まれることを期待して,問題提起と言うつもりで取り上げた部分も多い.その意味で本書は,通例の教科書とは趣を異にするものとなっている.
 本書で説明に用いた電子状態は,ほとんどがDV−Xα法という分子軌道法で実際に計算されたものである.この方法は複雑な物質でも大変簡便に正確な計算ができることで知られている.最近は理論計算には素人のものでも簡単に使え,パソコンでもかなり高級な計算ができるソフトが開発され,その手引き書「はじめての電子状態計算」(三共出版,1998年4月刊行予定)が出版されることになっている.電子状態に興味のある方は一度使ってみられることをお勧めしたい.はじめに述べたように,これからの材料学では量子論による単なる定性的な理解というだけでは満足できず,物質探索や実験計画に積極的に量子論を使うことが必須となるだろう.そのような局面では,実際に自分で電子状態計算をする必要に迫られることが,理論家だけでなく実験家にも多くなると考えている.新材料を開発していくためには,電子状態と化学結合の理解から糸を辿っていくことが有効なのである.この分野のもう少し専門的な勉強をしてみたいと思われる方には,以前に出版した「量子材料化学入門ーDV−Xα法からのアプローチー」や「金属材料の量子化学と量子合金設計」(共に三共出版)を読まれることをお勧めしたい.
 出版にあたっては,三共出版の石山氏に企画していただいた.また大変面倒な校正をお願いした秀島氏にもお礼を申し上げたい.
                         平成10年1月     
                         著者 足立裕彦,田中 功

目次
1章 はじめに
2章 波動方程式と波動関数
3章 原子の構造と電子状態
   3.1 水素原子
   3.2 多電子原子
   3.3 セルフ・コンシステント・フィールド(SCF)法
4章 元素と周期律
5章 分子の電子状態
   5.1 分子中の電子状態と分子軌道法
   5.2 等核角2原子分子における共有結合
   5.3 異核2原子分子におけるイオン結合
   5.4 マリケンの電子密度解析
   5.5 結合の次数
   5.6 共有結合性とイオン結合性
   5.7 混成軌道という考え方
6章 分子から固体へ
   6.1 分子性結晶
   6.2 イオン結晶
   6.3 共有結合性結晶
   6.4 金属結晶
7章 無機結晶の構造と結合状態
   7.1 最密充填構造
   7.2 代表的なイオン結晶の構造
   7.3 配位数のイオン半径比則
   7.4 ガラス・非晶質・準結晶
   7.5 点欠陥と不定比性
8章 無機物質・錯体の電子状態
   8.1 配位多面体と連結様式
   8.2 典型元素の酸化物
   8.3 遷移金属元素の酸化物
   8.4 希土類元素の酸化物
   8.5 酸化物以外の金属化合物の電子状態と化学結合
   8.6 典型金属と遷移金属の電子状態
   8.7 欠陥・不純物準位
9章 表面と界面
   9.1 表面の電子状態
   9.2 界面における電子状態
10章 電子分光と電子状態
11章 水溶液中での分子軌道

付録

A.分子の対称性
B.分子軌道計算の実際 ー DV−Xα法
C.軌道の混成と分極



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